遥かなる河。とりあえず多摩川へでも
第5日目は好きな風景のひとつ、多摩川について書いていきたいと思います。
二十代のころ、約十年ほど多摩川沿いの町に住んでいたことがあります。
恋をしていた時も、失恋した時も、一人ぼっちの時も、道に迷っていた時も、いつもそこに多摩川がありました。
私にとっての多摩川の景観は、堤防から見渡すことのできた、多摩市の丘陵を背にゆったりと流れる広々とした多摩川です。それほど整備がされていない河川敷には人影も少なくて、へらぶなを狙う釣り人か飼い犬を放して運動させる人、フライフィッシングの練習をする人、あまりぱっとしないカップルが見える程度でした。でもそれが、私が一番好きな多摩川の景観でした。
もちろん、奥多摩や青梅の人なら、渓谷の景観が一番素晴らしい、と主張されるかもしれません。
羽村や福生に住む人なら、羽村の堰の景観が素晴らしい。立川や日野の人なら、くじら公園周辺の川床から突出した岩板の形成する、くじら岩の独特の景観が一番だ。
ずっと下って、狛江や登戸の人なら、多摩川水道橋か五本松の景観でしょう、向ケ丘遊園も見えるし、と。
世田谷や川崎の人だったら、二子玉川緑地や丸子橋周辺。
大田区の人なら、六郷橋周辺の、いやいやガス橋周辺の方が上でしょう、と。
景観に限らず、好みというものは人、ひとりひとり違っていて当然で、また、誰がなにを人に誇れるものとして持っているかも、人それぞれです。
自転車で羽村の堰から二子玉川の手前、野川が合流する辺りまで行ったことがあります。当時でも、ごく一部を除いてサイクリングロードが整備されたいたと記憶しています。日野橋の辺りと拝島橋の先は一般道を走ったと思います。
天気は申し分ありませんでした。
サイクリングロードを、川の流れと並走するようにしてゆっくりと下って行くと、どの町の景観も豊かな個性と広がりをもって迎えてくれました。
カセットケースサイズのウォークマン、WM−20をウェストポーチに入れて、ジャーニーやトト、ボストンを聞きながら走りました。
途中、土手に座って自販機で買ったコーラを飲み、古い食料品店で買ったジャムパンとアンドーナツを取水堰の端に座り、川面を見下しながら食べました。
先の見通せない単調な日常の中、一日の苛々や焦りのやり場を見つけられずに私鉄列車の吊革につかまっていたような時も、窓から多摩川が見えると、不思議とその瞬間に苛々や焦りがすーっと引いていくのが感じられました。
一日中誰とも話さなかった日、夕方になって多摩川に出ると、灰色の雲が波立ちうねる海面を引っくり返したように低く垂れこめていました。波立ちのひとつひとつがくっきりとしていて、それぞれが感情を持って身悶えするように蠢いて見えました。
やがて夜が訪れて、闇が彼らの姿を塗り潰していきましたが、星の見えない黒い夜空に、彼らの息遣いがいつまでも残っているように感じられました。
たぶんその当時の自分自身への懐疑や未来に対する不信、そんな自分の置かれた状況に対する根拠のない不満なんかが、誰にぶちまけることもできずに胸の中で渦巻いていたからなのでしょう。
そんな夜もありましたが、それでも多摩川は、いつも自分の近くにいてくれる、かけがえのない大きな存在であり続けました。
様々な事情があって多摩川沿いの町を離れることになりました。
今でも時々、あの頃の不器用で頼りない自分が、川面を渡る風を受けて堤防の上に立ち尽くしている姿が思い浮かびます。そして仮に当時の自分に語りかけることができたとしたら、今の自分は彼に語りかけるどんな言葉を持てているのだろう、と考えるのです。