好きになった瞬間の切り取り方|村神千紘

私、村神千紘が日常見かけたなにげない風景や流れてゆく時間の中で感じたこと、手の届く物、届かない物でも興味を惹かれたものについて、現在進行、あるいは少し昔を振り返ったりしながら書いていきたいと思います。

ZARA、H&Mを晴れ着に、コムデギャルソンを普段着に。そんな日がもうすぐ訪れる、かな?

第2日目は、好きなファッション、特に服飾について書いていきたいと思います。

VANが倒産した後の、『ポパイ』と『ホットドックプレス』から、私のファッション、服飾への関心はスタートしました。

並木通りは伝説になっていて、歩くのは公園通りにファイヤー通り、キャットストリート。入り込むのはバックドロップに文化屋雑貨店、ハリウッドランチマーケット。そんな時代です。ビームスやシップスは別格でした。

しばらくして情報源は『ブルータス』に移行していきますが、南青山や骨董通りに目が向くのは、ずっと最近になってからです。

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体型が良ければなにを着ても似合うという、悔しいけれど否定できない事実を常に眼前に突き付けられながら、それでもその時その時に自分が着たいもの、着て心地いいものを選んできました。VANの影響を受けたトラッドが多かったでしょうか?

コッパンにチノパン、ボタンダウンシャツにポロシャツ、スタジャンにクルーネックのセーター。

コッパンの裾はダブルにして、ポロシャツはラコステかアイゾットでした。

サイズ設定があるのかないのか、それが常に最優先事項でした。

ずいぶん処分しましたが、当時のもののいくつかは今もクローゼットのどこかでひっそりと眠っています。

一方で、無印もユニクロも品質重視で選んできましたし、エディフィスにシップス、アメリカン・ラグ・シーなど、バックドロップに通っていた過去をすっかり忘れてしまったかのように、アメカジ過ぎないショップを好んでセレクトしていました。ユニクロはデザイナーズ・インビテーションの時代から+Jまで、仕事に使えるアイテムが選択できてすごく便利にさせてもらいました。

ファストファッションとの遭遇は2004年のパリ。フランスでミニバスの営業をしている日本人に教えてもらった、パリのH&M。オトリュッシュ君は、アッシュ・エー・エムと呼んでいました。店舗は、確かオペラ座の裏のラ・ファイエット通りだったと思いますが、カジュアルなものからモードっぽいものまでサイズも豊富で、1ユーロ125円くらいの時代でしたが、価格設定が衝撃的でした。そのH&Mが日本に上陸し、2008年11月8日、コムデギャルソンとのコラボ商品を発売した時、銀座店の前で徹夜の行列をしたのも懐かしい思い出です。

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ラフォーレ原宿にあったトップマンもよく行きました。まだ、ロンドンへの関心が強かった時代ですね。

少し遅れてZARA

コムデギャルソンも路面店では青山本店、コルソコモ、骨董通りのヤン・コムデギャルソン、最近ではドーバーストリートマーケットでしょうか。インショップでは渋谷西武や有楽町阪急をはしごしたりしていました。

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サントノーレ通りのコムデギャルソンパリやコレットでは、ギャルソンシャツの価格設定が日本の価格設定よりぐんと低かったのですが、立ち上がりから何ヶ月も経っているのでサイズが残ってなく、悔しい思いで仕方なくパルファムを購入したりしました。

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デザインが小さ目だったり、ユニセックスのものがあったり、ほかのブランドではあまり見かけないエステルの縮絨の独特の風合いと着心地。価格を無視できるのなら、全アイテム揃えたいくらいでした。今でも時々ですが、大切に着用しています。

ファッション、は文字どおり変わっていくものですし、同じように服飾に対する好みは変わってゆくと思いますが、自分なりのものとして、これからも大切にしていきたいと思っています。

 

 

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代官山は、手が届きそうでいつも指先のほんの先にある憧れの街だった

このブログは、私、村神千紘が日常見かけたなにげない風景や流れてゆく時間の中で感じたこと、手の届く物、届かない物でも興味を惹かれたものについて、現在進行、あるいは少し昔を振り返ったりしながら書いていきたいと思います。

どんなに小さな気付きでも、どんなささいな記憶でも、形のあるもの、形のないもの係わらず、同じ空の下で、同じ空気を呼吸している誰かと共有していけたら幸せなことだと思います。

第1日目は、好きな風景について書いていきたいと思います。

若い頃は、とにかく新しいもの、未来をイメージさせるもの、そんな建築物や広告物がかたち作る景観に強く関心を引かれていました。

高度経済成長を成し遂げ、オイルショックなど好況、不況の波を乗り越えながらバブルに向かっていた街は、なんだか立ち止まっていることに罪悪感を抱かなければいけないような、後ろめたいような気持にさせる雰囲気を持っていました。

派手に消費をする人々の様子が情報で発信され、その反面、自分の生活を見ると、学生のころと比べて特段派手にも豊かにもなっていませんでしたし、NTTの1株100万円以上もする株式の発売に殺到する人々の様子が盛んに報じられる中、自分の銀行口座には1株購入を申し込む残高もない事実から、自分は映像の向こう側の人々の一員にはなることはないだろうということは理解していました。

それでも技術の進歩が未来を明るく照らしている、というイメージを大した疑いもなく受け入れていたように思います。

ちょっと振り返ってみれば、技術の発展の陰で、公害や交通戦争など人々がけっして幸せにならない事件が起こっていて、それは報道で知識として認知できていたはずなのですが。

たとえば代官山にあるヒルサイドテラス。まだCADなんてない時代に、課題で図面をコピーした記憶は懐かしいですが、当時から三十年以上たった今でも、あの頃よりも華やかでキラキラしていて、一般の人間が垣間見れる商業施設としては、時代を作りながら有機的に町並みをかたち作り続けているように感じられます。

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その反面、代官山の駅前にあった同潤会代官山アパートも代官山アドレスに建替えられていますが、当時新しいものしか目に入らなかった私には、同潤会アパートも『古い集合住宅が、一風変わった景観を作っているな』というくらいの印象しか持てなかったことを、いま、すごく残念に感じています。

建築物にはそれぞれその寿命があって、更新されていくのは不自然なことではなく、また、東京という世界に類を見ない都市は、更新されていくことで都市としての機能を高め、人々の関心を引き付け、その魅力を増してきたことは否定できません。

代官山アドレスのような高密度な施設がそびえ立つ一方で、木造二階建ての商家や住宅を改修したレストランやカフェ、洋品店や雑貨店など小さなお店が存在して独特のトレンドを発信している様子は、旧山手通りに蔦屋書店ができて立ち止まる人もいなかった場所に大きな人の流れを作ったような再開発事業に比べれば、規模は本当に小さいけれど都市のダイナミズムを皮膚感覚で感じさせてくれるものですよね。

なくなってしまいましたが、アドレスタワーの真下のような場所にあったeau cafeや、キャッスル通りのシェルタ、まだまだ頑張っていますが、鉢山町交番の隣の小さなフレンチレストラン。キャッスル通りには、デザイナーさんの手作りシャツを置いたショップもありました。

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未知のものに対する関心ばかりが大きい時は、既知の物事の中に存在する価値を見過ごしてしまいがちですが、そういったものを察知できる感性に優れた人たちもたくさんいて、無機質の中に有機的な色合いを加えてくれているように、コンクリートやスチールの構造物が創る景観の中に、古いものと新しいものをミックスあるいは融合させた、きらりと光る宝石のようなものをちりばめてくれていたんだなあと、最近ようやく気付けたところです。

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また、都市部だけではなく、郊外にもさりげないけれど心休まる風景がたくさんあります。

都市部に比較すれば変化のスピードはずいぶんゆっくりですが、それでも少しずつその表情を変えてゆく様子は新鮮ですし、スピードがゆっくりな分、心安らげるものにもなっています。

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そういったものをひとつひとつ見つけて、自分なりのフィルターに通して記憶して、記録して、大切な風景として残していけたらな、と思います。